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トルコ・カッパドキア→シリア・アレッポへ
夜行バスの中では、やはり東洋人が珍しいのか、前後と横と四方八方からトルコ人からのコンタクトをとりたいオーラが異常に発していた。
つい目が合い挨拶をすると 待ってましたとばかりに話をかけられ、お菓子を貰い、自己紹介タイム。
今まで行ったカッパドキアやパムッカレのポストカードも貰いました。
アンタキアという街でバスの乗換えの際、バスの人からこれから飯を一緒に食いに行くからタクシーに乗れと誘われましたが、大きいバックパックもあったので、ここでは『ノー』とはっきり断りました。
本当に良さそうな人たちだったので心が少し痛みました・
そして無事トルコの出国手続きをし、シリアの入国審査へ。
シリアの国境ビザ取得の入国は不安でした。
実はネットで事前にシリアへの入国を調べていたところ、
シリアのビザ取得について・・・
イスラエル入国の形跡がある場合は、シリア入国を拒否されます。
原則として日本国内で事前に取得しておくこと。
※空港や国境での査証取得は流動的であり、数日必要。事前確認が必要です。
と書いてあり心配でしたが、現地の情報では問題ないということだったので行ってみました。
ドキドキしながら入国審査に行くためバスを降ろされたが、英語が通じないうえにどこに行っていいのかも分からない・
そうこうしていると、ここでもやさしいトルコ人。
入国審査所まで案内してもらい、シリア審査官との通訳をしてくれ、なんとかスムーズにパス。
入国にはアラビア語の自分の名前が必要だったらしく、そのトルコ人に名前を教えアラビア語の自分の名前を書いてもらった。
本当はシリア査証申請書等 必要だったのに・・名前を書いてパスになった。
そしてシングルビザ代15ドルを払いシリアのビザスタンプがパスポートに押されやっとここで安堵した。
今後、もしシリアに行くような人がいたら、事前にシリア大使館にて手配しておきましょう。
シリア査証申請書は以下の24項目が必要です。
カッパドキア最終日。
今日は宿の近くにある、ウチヒサル城に行ってきました。
ウチヒサル城はウチヒサルの町にある岩の城砦。
巨大な一枚岩の城塞で、岩をくりぬいて人が住んでいたというから驚きだ。
城砦の頂上からは360度のカッパドキアのパノラマを楽しむことができます。
バスでウチヒサルに到着し、城の目の前にあったレストランから民族っぽいかっこいい音楽が流れてきたので、レストランの前でふらふらしていた店員らしいおっちゃんにこの音楽は売り物か?と聞いてみた。
そうするとトルコ語で何か言っているが、全く分からない。
言っていることが分からないといったら、店内に案内され、そこにはパソコンがあった。
どうやらPCのデータだから無理だと言いたかったらしい。
そもそも基本 トルコのショップは店員は不在で、探すとどこからともなくやってくる。
分かったことは どうやらこのおっちゃんは店の店員ではなかったらしい・
しかし、そのおっちゃん、平日の昼間にもかかわらずウチヒサル城を案内してくれるという。
寒い中、城の周りをくまなく案内してくれた。
1時間くらいだったと思う。お金を請求されそうで少し心配だったが付いていった。
左がおっちゃん。外側は絶壁。
その後 チャイもご馳走になり、『このチャイ美味しいね』といったら、チャイのお店に無断でどかどかと入り、厨房を案内してくれた。
レストランにも堂々と入り、このカフェの厨房にも入れるおっちゃん。
この人は誰?と思いつつ、不思議なくらい自由に生きていそうな人だった。
トルコをはじめ、中東ではどうやっていきてるか不思議な人が多い。
明日は明日になった時に決めればいい そういう考えを持っている人が多かったです。
城を見終え、城を下るところにバス停があると聞き、バス停へ向かった。
そうすると向こうの洞穴から手を振ってくる人たちがいた。
『ウェルカム!ウェルカム!』といっている。
行ってみると軍警察の人たちであった。
言われるがままに軍警察のオフィスへ行き、仕事中なのにも関らずここでもチャイをご馳走になった。
彼の名前はズレネイ。同い歳。今は出張でカッパドキアの派出所勤務になったらしい。
ズレネイは5ヵ月後にイスタンブールに帰るから絶対に遊びに来いと言っていた。
その後オフィスを案内してもらい、またチャイをもらった。
オフィスは一枚岩をくりぬいた4階建。
岩の表面にはたくさんの鳩の巣穴があり、子供のときに夢見ていた秘密基地がそこにはありました。
こんな派出所だったら楽しい仕事になりそうだ。
今日は改めてトルコ人の脅威のホスピタリティーさを知ることができ、
この経験を通じて自分にも必要なことだと感じました。
明日は夜行バスでトルコからシリアに向かいます。
カッパドキアは広大な土地のため、とても徒歩では観光することが困難です。
自らタクシーをチャーターするか、車をチャーターしなければなりません・
しかし、予算的にもちょっと高くついてしまうので、現地発ツアーに参加するのが便利です。
ツアーには場所によって、レッド、グリーン、南部カッパドキア3つのツアーがあります。
自分は一番一人で周ることが困難なグリーンツアーを予約し、行ってきました。
グリーンツアーは 「ウフララ渓谷と地下都市」を回るコース。
緑豊かな「ウフララ渓谷」のハイキングと、規模の大きい地下都市デリンクユを組み合わせたツアーです。
そして自分の一番の目的はスターウォーズの撮影場所にもなったセリメ村に行くことでした。
費用は50リラ(日本円で3750円くらい)ホテル送迎、ガイド、昼食付です。
まず朝一で『地下都市デリンクユ』へ。
バスは二人の日本人を含む、計8人とガイドさん一人。
ベネズエラ人とタイ人という珍しいカップルがいましたが、お前はメキシコ人か?友達にそっくりだと言われました。
カッパドキア地方ではヒッタイト時代から交易ルートの要の地として栄え、4世紀前後からキリスト教の修道士がこのように凝灰岩に洞窟を掘ってこの地下都市ができました。
地下都市は他のものが進入できないよう、迷路のような構造になっており、そこにはキッチン、食物保蔵庫、寝室、教会等がありました。
彼らは外敵から身を守りつつ、信仰を守り続け、洞窟内の天井や壁に見事なフレスコ画を残したそうです。
標高1000mを越す高原のさらに奥深い岩山での、ひたむきな信仰生活をかいま見ることができる貴重なものでした。
下の画像は洞窟内にあった教会の壁画です。植物を塗りつぶして作った自然の塗料だそうです。
次に約2時間ほどウフララ渓谷を散策し、途中その川のほとりでランチ休憩。
最後は目的のスターウォーズエピソード1の撮影場所のセリメ村に。
カッパドキアに来てずっと見たかった場所・
やはり自然遺産は偉大だと改めて感じました。
左の写真が今にも崩れそうな奇岩と自分。右は奇岩住居跡です。
自分がかなり小さく見えます。
セリメ村にはまだ住民がいて実際に住んでました。
笑顔いっぱいでいろんな方に歓迎されました。
そこにはピンクのかわいいスニーカーを履いた、未来のジェダイがいました。
これがカッパドキアで泊まった宿
『Travellers Cave Pension』
このペンションは、ギョロメの中心部にあり、バスターミナルからは徒歩5分と近かったです。
素晴らしいカッパドキアのパノラマ景色を一望できます。
スタッフも親切で、写真のイヴォは少し日本語も話せてよくチャイもよくご馳走してくれました。
そしてなんといってもこの洞窟ルームが最高でした。
しかも一泊2000円と手頃な値段で宿泊できます。
このカフェテラスでは日本人スタッフもいることもあり、チキン野菜炒めやお茶漬け等もありました。
僕は朝食べるこのオムレツとアップルチャイが一番お気に入りでした。
このギョレメ地区にはたくさんのレストランやお土産屋があります。
レストランではチキンケバブとマッシュルームのケバブ、ヨーグルトに水と塩を混ぜたアイラン。
トルコの伝統料理の陶器を割って食べるトマトとチキンを蒸したものを食べました。
しかしこの飲むヨーグルト・アイランは味が無かったです・・・
トルコ人はブルガリア人よりもヨーグルトを食べると聞きましたが、やっぱり食べなれているブルガリアヨーグルトが一番だと思います。
カッパドキア・・・
キノコ状の岩に代表される奇岩の不思議な景観、奇岩の中に残された膨大なキリスト教絵画、地下何十mにも掘り下げられた地下都市と様々な顔をもつ。トルコ最大の見所です。
バスの窓から目に入る景色は、これまで訪れたどの地域の景色とも異なっていました。
なだらかな岩肌のグラデーションが広がるかと思えば、ごつごつとした奇岩郡がある。
ニョッキリと突き上げるキノコのような岩のユニークさには笑ってしまいます。
これが全て自然の力でできたのだからやはり凄い。
こうした地層は数億年前に起きたエルジエス山の噴火によって造られたもの。
火山灰と溶岩が数百mずつ積み重なった末、凝固岩や溶岩層になり、その後も岩部は風雨に打たれて侵食が進み、今では固い部分だけが残されて不思議な形となりました。
ここパシャバー地区は一番初めの画像にある3本のキノコが生えているような形をした大きな岩で有名。ここには昔、有名な修道士が隠れ住んでいたそうです。
他の惑星にでも来てしまったような錯覚に陥り、まるでスターウォーズの世界。
世界にはこんなものがあるんだなぁと思いつつ、みていて飽きなかったです。
この日は天気も良かったため、キノコ岩を見ながら約4時間かけ、宿まで歩いて戻りました。
ここではトルコアイスも食べましたが、甘さが無くあまり美味しくなかったです・
けど確かに噂通り、アイスはかなりのびてました。
そして眉毛も見事につながってました。
イスタンブールから夜行バスにてパムッカレに到着。
まずはこれを見てください。
パムッカレはトルコ語で『綿の城』という意味を持つトルコ有数の温泉保養地です。
珍しい石灰棚はユネスコの世界遺産にも登録され、段々畑のように連なる白い石灰華の岩棚は、長い年月にわたって流れ続けた鉱泉が作り出した厚い「綿の城」ですが、真っ白い炭酸カルシウムの塊が城壁のように盛り上がり、朝は青白く、夕べには茜色と時々によって美しく色を変えます。
近くでみるとこんな感じ。凄く硬く、足ではとても削れなかった・
石灰棚の温泉水がたまった池で、湯に浸かったりするのが観光客の楽しみの一つでありましたが、あまりの開発ラッシュのためか、現在温泉が枯れつつあると聞きました。
また、景観保護のため石灰棚への自由な侵入も禁止でした。
しかし、遊歩道を歩いたり、一部の石灰棚に入ることができ、白とブルーのコントラストが美しい石灰棚を堪能することができました。
そして観光スポットはこれだけでなく、石灰棚を望む丘の上には聖なる古代都市ヒエラポリスがあります。
ヒエラポリスの歴史は紀元前190年頃、ローマ軍に加勢し、シリアとの戦争に勝利、その武功によりローマ皇帝からペルガモン王エウメネス2世へこの町を与えられました。
17年の大地震により崩壊し、数世紀をかけて復興、人口10万人を数えるこの地方有数の都市に成長しました。
当時、内陸部にある都市としては類を見ない繁栄ぶりでしたが、14世紀の大震災で壊滅的打撃を受けました。
下の写真はそのなかにあるコロッセオ。
この古代都市ヒエラポリスを見た後、バスターミナルでオリエンタルなトルコ料理を食べ、夜行バスに再度乗り、あのスターウォーズの撮影場所でも有名なカッパドキアに向かうことにしました。
昨日に続き、お気に入りのブルーモスクへ
ちなみに道路を挟んで反対側には同じ大きさのレッドモスクというモスクもありますが、質素な造りのモスクです。
次に向かったのがこの地下宮殿。
地下宮殿の通称で知られるバシリカ・シスタンは、トルコ共和国のイスタンブルにある東ローマ帝国の大貯水槽。
貯水槽は非常に大きく、長さ138m・幅65mの長方形の空間で、高さ9m、1列12本で28列、合計336本の大理石円柱を備えています。
最近までこの貯水池を知らずにイスタンブールの市民は穴を開けて、水や魚を獲っていたそうです。
入ると 床一面に水が張られ、中には魚が泳いでおり、外と比べひんやりしていました。
その後、その地下宮殿と同じ時代に造られたという水道橋に向かいました。
大通りの中央にあり、喧騒としているなかにどかんと存在感がありました。
見たときは京都にある、南禅寺の水道橋を思い出しました。
最後は トルコ最大のバザールへ行き、お土産を買ってこの日は終了。
バザールにはトルコ刺繍のポーチやバック、ストール等 が多かったです。
日本人観光客が多いのか日本語で声をよくかけられました。
この日は夜行でパムッカレに向かうので、宿の皆に別れを告げ 路上で夕飯を食べながらバスを待つことにしました。
これが結構美味しかったです。
イスタンブールをはじめ、トルコは異様な親日ムードです。
親日とは聞いていましたが、まさかここまではと思うほどです。
トルコ人はなぜ親切なのか?
調べてみるとトルコ人の親日感情の理由にはいくつかの説がりました。
・日本近海で遭難にあったトルコの人々を日本人が救助したというエルトゥールル号遭難事件
・トルコにとっても対立関係であったロシアに日露戦争で日本が勝利したことなどの歴史的なもの
・日本が経済大国として近代化に成功したことと、それを作り上げた日本人の勤勉さに対しての感心さ
だそうです。
台湾は控えめな親切だったのに対して、トルコをはじめ 中東の国ではこれでもかと親切にしてきます。
道端で歩いているとチャイをご馳走してくれます。
このトルコの旅で30杯はご馳走になったと思います。
そのまま意気投合して民泊している知り合いもいました。
しかし、極わずかですが中には悪い人ももちろんいます。
特にトルコでも商売人は絶対に信じてはいけません。
トルコ人が親切なのを利用して近寄ってきて 結局何かを高値で売りつけるという残念な結果です。
何日もかけて罠にはめようとする商売人や、高額なツアーを売りつけるものもいます。
基本的には話しかけられたら付いていかないのが一番なのですが、出会いを無駄にしているのも事実です。
いい人 悪い人の判断はすごく難しく、直感が頼りになります。
海外では日本にはあまり縁のない自己責任という言葉が重くのしかかります。
この東西文明の接点イスタンブールは、ボスポラス海峡によってヨーロッパ側とアジア側に分かれています。
観光客がおもに訪れるのは、観光スポットやホテルが多いヨーロッパ側。
オフィスや商店などおもな都市機能もヨーロッパ側に集中しています。
情報が何もなく、宿も決めていなかったので まず日本人宿に向かいました。
ここがイスタンブールの日本人宿 『Tree of life』
イスタンブールは長期放浪者が多く、個性いっぱいでした。
チェックイン後 腹が減っていたので近くのレストランへ。
ビーフとヨーグルトという組み合わせ。
ちなみにヨーグルトはトルコが発祥の地といわれています。
期待していた通り、トルコは物価が安い!
しかし、ヨーロッパに比べての話であり、日本とさほど変わらない印象でした。
このブルーモスクは正式にはスルタンアフメット・ジャーミィといい、地域名にもなっているとおり、旧市街の観光の中心になっています。
内部は細部に渡り細かい彫刻が施されており、壮大で重厚なその姿はイスタンブールの象徴にもなっています。
このイスラム寺院 モスクは町中にありますが、このブルーモスク(スルタンアフメット・ジャーミィ)は6本ものミナーレがあり、ライトアップされたその姿はヨーロッパの教会や大聖堂とは違った類のものでした。
ブルーモスクの近くでは夜市が催され、活気で溢れていました。
焼きとうもろこしやバターコーン、ケバブやスープなどがあり、夕飯はここで なすとチキン炒めと、ピクルスやマメ、トルコライス等が入った具盛りだくさんのジャガイモを食べました。
イスタンブールは街もきれいで、人も異常に親切。
居心地も良く、ご飯も美味しく、見所も沢山あるので トルコは日本人が観光しやすい国だと感じました。