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今日は世界遺産であり、世界一美しい街として賞賛のある、チェスキー・クルムロフ歴史地区に行ってきました。
チェスキー・クルムロフは街の伝統的な住民の多くを追放したとこで、一時期荒廃状態にありました。
1989年のビロード革命以降は、街の景観の歴史的価値が再認識されるに至り、建造物の修復が急速に進められ、街はかつての美しさを取り戻していきました。
自然に囲まれ、自然に守られたチェスキー・クルムロフは中世の街並みが残る場所となり、人々から
脚光を浴びる街となり世界遺産に。
ネットで調べてみると別名『眠れる森の美女』とも呼ばれているらしい。
ここには当初行く予定はなかったのですが、台湾の宿に泊まっていた時、チェコに行くならここへ絶対に行く事を進める。と言われプラハで満足していた自分は半信半疑でいってみる事にしました。
調べてみると かなりの田舎の為 交通の便が悪い。
電車で日帰りはほぼ不可能に近い事が分かった。
そこでバスのターミナルに行ってみると、どうやら片道3時間で行けるらしい。
しかも往復で200チェココルナ(1400円)というので早速、プラハ9時発21時着という便を予約。
バスは壊れそうなサビだらけの外観で、中もひどかった・・
それでもチェスキー・クルムロフへ行く途中 のどかな田園風景を満喫し、予定より30分遅れて現地に到着。
到着し、城壁から街を見渡すと息を呑むような絶景がそこにはありました。。
山々の緑、Ω型のブルタヴァ川が淡いオレンジ色の屋根を囲むようにあり、あまりにも幻想的で時が止まるような思いでした。
右の写真は上から見た個々の家の中の一つです。
何かに似てる町並みだなぁ・と思っていましたが。
バスの帰りに分かりました。
チェスキー・クルムロフはまさにディズニーランドというのが一番近い気がします。
せっかくだからとここでディナーをしました。
しかし、バス出発まで残り時間がなかったため、味はあまり覚えていません・
少し標高が高いこともあって、途中で雨になり天候には恵まれなかったが、間違いなく行く価値のある街でした。
今日でチェコ最終日。
おもちゃが有名なチェコですが、チェこの街自体もおもちゃのようなイノセントな雰囲気のある街でした。
明日はオーストリア ウィーンに向かいます。
弾丸ツアー!!
今日はプラハのメイン、プラハ城に行ってきました。
プラハ城はギネスブックにも登録されている最も古くて大きい城です。
プラハ城はボヘミアの国王や神聖ローマ皇帝の居城であり、大統領府のある場所でもあります。
12世紀に小さな教会が建てられ、歴史が経つごとに破壊・修復が幾度となく繰り返され、様々な様式を取り入れながら600年、19世紀になってようやく全体が調和した建築物になりました。
600年という月日は想像を絶し、一体何人の職人がこの建物を完成させるため携わっていたのか。。
プラハ城内には小さな教会や、広場が沢山あります。
その中でも最も大きくそびえ立つ、プラハ城のシンボルとしてふさわしい聖ヴィート大聖堂に入りました。でかすぎて画像に入らず・
入った途端、高い天井とステンドグラスから差し込む光によって教会内は荘厳で特別な空間に包まれます。
その後クタクタになったので一度宿にて休憩を取ろうと思い、向かう途中に撮った写真です。
地下鉄のホームは各駅によって様々で個性的な内装でした。これは馬車?の標識。
休憩後、プラハの夜景を見に行きました。
カレル橋から見たプラハ城は幻想的でした。
明日は世界で一番美しい街として有名なチェスキー・クルムロフに行ってきます。
ベルリンから約4時間くらい列車に揺られチェコ・プラハに到着。
途中ドイツのドレスデンという大きい駅を通過しました。
チェコという国自体は歴史が浅く1993年にチェコ共和国として誕生しました。
プラハはドヴォルザーク、スメタナが生誕し、モーツァルトやシューヴェルトが愛した地で、
今でもプラハの人々にとって音楽は日常的で身近な存在です。
街の教会やコンサートホールでは毎日どこかでコンサートが開かれています。
プラハという町の雰囲気は、どことなく愛らしいイメージを感じました。
コインも独自の通貨単位でKč・コルナといい、デザインが凄く気に入っています。
チェコは3日間のみの観光の予定だったので初日から結構飛ばしました。
プラハは旧市街広場を中心に見所が沢山あり、まず旧市街に入る前にこの火薬塔が顔を出します。
火薬塔ついうその背景には、約550年前の1475年に旧市街の城壁の門として建てられ、
17世紀に火薬庫としてつかわれるようになり、そこで初めて火薬塔と呼ばれるようになりました。
旧市街広場にはヤン・フスの銅像、ティーン教会、市庁舎、天文時計などがあります。
ティーン教会をバックにヤン・フスの銅像。
画像だと分かりませんが、ティーン教会お尖塔の先にはゴールドの星が装飾され凄く綺麗でした。
ヤン・フスはボヘミア出身の宗教思想家、宗教改革者で、プロテスタント運動の先駆者であり、彼によって今のチェコ語が使われるようになります。
市庁舎の天文時計を見て、市庁舎は塔に登れるので記念に登ってみました。
上から見たときの景色は、建物の一つ一つが淡いオレンジ一色で統一され、まるでおもちゃの世界に吸い込まれたような不思議に気分になりました。
パリに続く、2度目の展望台でしたがチェコも負けてませんでした。
今でもあの画が忘れられません。
そして上から見た個々の家の中の一つです。
この旧広場界隈には、中世最大のユダヤ人ゲットー(強制居住区域)があったそうです。
今でもそこに当初の家がそのまま博物館になっていたりと、独特の歴史を歩んできている雰囲気がありましたが、ベルリンで書いたことと重複するためこれ以上あえて載せません。
旧広場を抜けると玩具やアンティークが有名で沢山の土産屋がありましたので、いくつか載せておきます。
プラハ城にはカレル橋というプラハでは有名な橋を渡り、プラハ城壁からの夕焼けが教会に映え綺麗でした。