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本格的なスイスらしい風景を満喫すため登山鉄道で30分ほど走り、グリンデルワルトに行ってきました。
ここではパラグライダーが気軽にでき、ついにやってきました。
パラグライダーまで時間があったので、近くの湖までハイキングに出かけました。
その道中は360°どこを撮っても絵葉書になるような場所でした。
アイガー北壁をはじめ4000m級の山をいくつも仰ぎ、カウベルが鳴る牧場が広がる風景は忘れられません。
最後の写真はパラグライダーの出発点でこの絶壁から飛び降りるのですが、タンデム飛行なので安心して飛行することができました。
料金は30分で1万7千円と高めでしたが、お金には変えられない貴重な体験ができました。
まるで鳥になったかのような感覚になり、その空からの眺めはアルプスの山々の壮大さに圧倒され、
自然のすばらしさを再度思い知らされました。
今日は宿の隣にある町、ブリエンツにハイキングをしに行ってきました。
ブリエンツはブリエンツ湖のほとりにある木彫りで有名な町。
SLが世界一の急勾配なところ登ることでも有名です。
町を歩いていると犬を散歩している人がいて、後をたどってみると湖岸に出ました。
その湖岸には公園がありそこでは泳いだり、日光浴をしている人たちがいました。
あまりに湖畔がきれいだったため、自分も我慢できず服を脱ぎ捨て泳いじゃいました。
その後、ブリエンツから宿のあるイステルワルドまで2H30Minとあったので歩けない距離では
ないと思い、そののままハイキングしながら宿に戻りました。
途中には放牧されている牛のカウベルの音や、自然のリス・鹿など沢山の自然が溢れ、すばらしい景色の中を歩いて帰りました。
ベルン→インターラーケンに到着。
もう肌は日に焼けて中学時代を思い出すような黒さ。真っ黒です。
計画では初めはツエルマットに行く予定でしたが、スイスに向かう夜行列車の中でスイス人にパラグライダーをしたいと言ったらインターラーケンだというので急遽予定を変更しました。
インターラーケンは西にトゥーン湖、東はブリエンツ湖にあり、アーレ川が流れる緑濃い上品な街です。
インターラーケンは韓国人、インド人が多く訪れることでも有名で街のお土産やではハングルやヒンドゥー語がちらほら。
さっそく予約をした宿に向かうのだが、どうやらインターラーケン市街ではなくブリエンツ湖の途中にあるイステルワルドという隣の村?らしい・
そこで遊覧船にのり、宿に向かいました。インターラーケンからざっと1時間・
遠いと思ったが、ここイステルワルドは村ならではの良さがありました。
これがその時の遊覧船。ブリエンツ湖は遊覧船からダイブしたいくらい綺麗でした。
イステルワルドに到着。
これが今回の宿。宿の近くには高山植物のような見たこともない花が沢山咲いていました。
とりあえずブリエンツ湖をバックに記念撮影。
明日はこのブリエンツ湖と隣町のブリエンツを散策しにハイキングに行く予定です。
ベルンの宿は6ベッドのドミトリー。
駅から宿は急勾配な坂が多くあり途中には真っ赤なゴンドラが設置されていた。
宿で最も印象的だったのは、朝食がかなりおいしかった事。
パン・バター・ジャム等はすべて手作り。オレンジジュースはもちろん100%。
朝一で飲むホットココアもまた最高においしかった。
同部屋者はスイスの田舎町からレスキューの研修でやってきた3人。
一番年長の二十歳のドミニクが、故郷でやっている外からやってきた人を迎える儀式とやらを皆でやった。
その儀式は、小さなスチール缶に入っている茶色のパウダーを手のひらに載せ、一気にみんな鼻で吸うという。
見た目はちょっと怪しかった・・ドラッグでないことを確認してやってみた。
感覚としては鼻の穴にフリスクを入れたような感じだった。朝一にやったら一発で眼が覚めるような儀式だった。彼らから栄養ドリンクやお菓子をもらったりと色々お世話になった。
それから クリスという同い年のドイツ人に声をかけられ 意気投合し、飲みに連れってもらった。
スイスの賃金が高いので、ベルリンからベルンへ週3でフライヤーや雑誌の広告のデザイン等をやっているという。
クリスの腕には『愛望知』という意味不明の文字のタトゥーが入っていた。
意味を教えて欲しいと聞かれ、説明してる自分も意味が良く分からなかったが、一応説明した。
何でこれを彫ったの?と聞くと、何となくと言っていた・
また、ベルンの街には日本で見ることのできない珍しいものがいくつかあった。
広場ではおっきいチェスをしていたり、カジノもあったりと意外と娯楽施設も多かった。
これはベルンのゴミ袋。朝一歩いているとこのゴミ袋が必ず家の前にあって、このベルン旧市街のデザインに目を引かれました。
ベルンの教会は大聖堂以外はモダンなデザインの教会が目立った。
正面がモダンアートのような画の三位一体教会、テレビ画面で水場を演出していた教会などがあった。
スイス一の高さを誇る大聖堂のみは歴史が古く、1421年に着工され、4世紀半かけて1893年にようやく完成された。
正面玄関にある『最後の審判』という浮き彫りは、1528年の宗教革命で唯一難を逃れたもので、細部まで凝ったつくりになっていた。
内装にはスイスらしい絵やステンドグラスが沢山あった。
254段の階段を登った教会の中腹あたりに展望台があり、そこから見る風景はバラ園同様、世界遺産である旧市街やアーレ川を一望でき、まるで童話の世界に飛び込んだような風景だった。
スイスの首都 ベルンに到着。
近代都市をイメージしていたが、街のシンボルがクマであるようにむしろのどかな雰囲気が漂う街であった。
ベルンの歴史は古く、旧市街は世界遺産に登録されている。
町はU字型に流れるアーレ川に三方を囲まれた段丘にあり、ゆっくり歩いても一日で散策できる。
まずベルンのメインストリートりであるシュピタル大通りを通り、街を見渡せるバラ園に向かった。
ここには世界一長い商店街があり、スイスらしい時計塔をバックに壁沿いには何百もの旗がかかり、街をより気品溢れる街に演出していた。
何百メートルかごとにはマスコットが立っている水飲み場でスイスのおいしい水が飲める。
途中にはアインシュタインの家や花を基調とした大聖堂広場があり、ベルンのシンボルであるクマ園もあった。
U字型に流れるエメラルドグリーンに輝くアーレ川を渡り、バラ園に向かった。
バラ園には今が季節だったのか、
赤・ピンク・白・黄色と沢山のバラが咲き乱れていた。
そのバラ園から見る見晴台からの風景は、
世界遺産 納得の旧市街の絶景があった。
スイスの首都には近代的なビルが一つも無かった。
しかし、よく考えてみるとベルンはより近代的な街なのかもしれないとも感じた。
どことなく屋根が淡いオレンジであるチェコの風景と似ていたが、周りには川と森のみの自然が溢れ、唯一高いものといえば大聖堂の斜塔と時計台のみで 他には澄んで晴れ渡っている青空のみであった。
スイスは世界一美しく、住みやすい街ですが、物価もまた世界一高い国です。
日本と比べ、物価はだいたい2倍~3倍します。
たとえば・・・
マックのこのハンバーガーとポテトのセットで650円、この大きいポテトのスモールサイズで420円です。
ちなみにビックマックセットが1400円、ペットボトルのコーラは350円します。
レストランのランチは最低2000円は必要です。
その分、給料も比例して高いそうです。
初任給が60万、平均月収はなんと88万円。
スイスの名物といえば、チーズフォンデュやラクレットといったチーズ料理ですが、物価が高い上、あまりおいしいと聞かなかったので食べませんでした。
スイスの物価の高さにはそれなりの理由があり、
1、スイスは雇用側の社会保障負担が大きいため、物価水準を押し上げている。
2、スイスは小国ながら、ネスレ、オメガ、スウォッチなど輸出企業 が強いことから、スイスフラン高傾向にある。
3、スイスは、EUに加盟していないことから、他EU諸国に比べ高い補助金が農業 などに支払われている。 また、安い賃金で働く外国人労働者の流入が比較的少ない。
という3つが挙げられます。
こんなに物価が高くても自然の美しさ・街の住みやすさを魅力に、ヨーロッパ各地のお金持ちはスイスに好んで住んでいるそうです。
スイスの玄関であり、スイス最大の都市であるチューリッヒに到着しました。
チューリッヒは世界一番住みやすい街だそうです。
ちなみに、東京が35位で、アメリカの最高はホノルルの27位だそうです。
国際サッカー連盟(FIFA)の本部もここにあります。
寝台列車から降り、まず澄み切った空気と湖を見て、とても都市とは思えない印象を受けました。
これがチューリッヒ駅。
チューリッヒ湖の近くにある大聖堂の隣では市場が催されており、民族衣装を着た人たちがスイスにちなんだ色々なものを売ってました。
まるでゲームのような世界でした。
チューリッヒ湖へとつながっているリマト側沿いも綺麗な街並みで、チューリッヒ湖には白鳥が触れるくらい近くに沢山いました。
確かに世界一番住みやすそうな街といっても納得できるくらい自然が素晴らしかったです。
人間と自然がうまく調和できたらこんな街が出来上がるような気がした、チューリッヒでした。