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無事ミラノに到着。
実はスイスから腕のかゆみが気になり腕を見てみると、湿疹ができていた。
はじめは蚊か何かのアレルギーかと思い、ほっといたら腕・おなか・足・顔にもできてきた。
ベネツィアから気になり始め、ミラノに着くとだいぶ目立ってきてかゆみもひどくなり、これはまずいと思い病院に行くとこにした。
幸い海外旅行保険に入っていたため、保険会社が病院を手配してくれるという。
しかしミラノの宿に段取りの詳細をfaxすると聞いていたのに一行に来ない・
宿のスタッフに聞くとfaxは壊れて使えないという。
夜も遅かったのでそのままあきらめて寝ることにした。
次の日、寝ていたら朝早くからドアをノックしてくる人がいた。
『金井さーん』『金井さーん』と呼ばれていたが、ずいぶん流暢な日本語だなと寝ぼけたことを考えていたら、なんとそこには もみあげだけがやけに長いおばさんが立っていた。
歳も母親くらいで、もう見てからにおばさんだ。すごく見て癒された。
話を聞くとその人は通訳で、今から病院に連れていくから早く支度をしろということだった。
保険会社が通訳を派遣してくれていたのだ。
おばさんに見られている中で3分で支度し、タクシーで病院に向かった。
病院に向かうタクシーの中ではYシャツをはだけさせたジローラモみたいな運転手が、俺の腕の湿疹をみてマンマミーヤ!!と連呼していた。
ここで本場のマンマミーアを聞くことができた。
小堀さん(通訳)のおかげで、病院ではスムーズに診療をしてもらうことができた。
先生は自分に向かって何か沢山言っていたが、小堀さんの一言で全て分かった。
原因はスイスのイステルワルトの宿のダニだった。
かなり悪性なダニで、血液にまでまわってたのでイタリアに来てひどくなったという。
今は塗り薬をもらってまだ跡は残っているが、数日でかゆみが止まりすぐに回復したのでもう心配はありません。
そしてその後不幸中の幸い的な事件があった。
ミラノに来た目的を聞かれた際、最後の晩餐を見に来たと自分が言ったのを聞いて、
小堀さんにはツアーガイドに知り合いがいてチケットを譲ってくれるか頼んでくれるというのだ。
結果、明日2時15分 1枚だけキャンセルがあったというのでお願いした。
最後の晩餐の予約は通常ここでします。
http://www.cenacolovinciano.org/sito/home.html
それか日本の会社に手配を頼むと手数料で1万円も取られるそうです。
このサイトでは1ヶ月先まで予約が一杯で、キャンセル待ちにしても何時間、何日待ってもなかなとれないのに、見ず知らずの他人にここまでしてくれ、病院での通訳・町の観光スポットまで教えてくれた小堀さん。
やはり世界中どこにいても、人種やどんな立場であれ、人間一番大切なのは思いやりなんだと実感した一日でした。
ベネツィア最終日。
そしてこの日は青木ちゃんと別れる日であった。
またトルコあたりで合流しようかという話をしながら、この日はヴァポレットとというゴンドラに乗って観光した。
絶好の位置の席がとれ、ゴンドラならではの目線でベネツィアを見ることができた。
川でしか入れない建物もあった。本当不思議な町だった。
その後ヴァポレットでサンマルコ広場に行き、鐘塔でベネツィアの風景を堪能した。
やはり海の町とあってロマンチックな風景で溢れ、ハネムーンかと思われる日本人カップルも沢山いました。
青木ちゃんとの最後の晩餐だからと ディナーを奮発して、15ユーロで前菜付のパスタのコースを食べた。
何が書いてあるのかさっぱりだったので適当に頼んでみると、なんとイカスミのスパゲティだった。。
日本ではイカスミは食べたことも無く、見た目からして頼むことは無かった。
しかし、本場だったからかこんなにも美味しいものだと知らなかった。
今まで食べたパスタの中で3本の指に入るくらい美味しかった。
日本でも是非イカスミを食べてみたいとも思った。
今後の予定では、ベネツィアからミラノ→フィレンツェ→ローマと行く計画です。
ミラノは自分が最もみたいダ・ヴィンチの壁画『最後の晩餐』がある。
しかし、予約が1ヶ月先までいっぱいで期待はキャンセル待ちのみ・
みれるといいけどなぁと話しながら、その日青木ちゃんと別れた。
今日は一日ベネツィア観光。
ベネツィアらしい海岸線を青木ちゃんと歩きました。
青木ちゃんとは今まだ会った旅の思い出や、今後どうするかなどお互い色々なことを語りました。
これもベネツィアっぽい路地裏の風景。川沿いに玄関のドアがあります。
ここはガリバルディという大通り。こんなに大きな道でも車は一台も無く、あるのはベンチのみ。
途中洗濯物を干している場所があり、ここをみてイタリアに来たなっていう実感が沸いてきました。
治安もイタリアの中では最も良い町といわれているように、薄暗い路地で迷っても危険を感ずることが無かったです。
ベネツィアは細い路地裏ばっかりなので迷う人が続出するため、このような看板が沢山ありました。
これはチョイ悪警官。本場のチョイ悪は迫力がありました。ここでもまたイタリアに着たんだなぁと思った時でもありました。
スイス→イタリアへ
ついにイタリア入り!!
イタリア入りした途端、聞いたニュースがイタリア最大手航空会社 アリタリアが破産を申請したという
あまりいい話題ではなかった。
まずイタリアはベネツィアに向かった。
ここでは再度フランスで意気投合した、あおきちゃんと会う約束であった。
2回目の2人旅。
やはり2人だと、目線の違う二人ならではのエンジョイさがあり、
もちろん考え方もちがうので見る楽しみ方が倍になった。
何よりブダペスト以来久しぶりに日本語が話せるという安堵感がありました。
再会するまでにスイス→イタリア間では色々あったが、とりあえず青木ちゃんと無事合流することができた。
ベネツィアは『世界中で最も美しい都』という表現が誇張ではない町でした。
まず来て思ったことはあまりに静かだったこと。
道=川、自動車=ゴンドラというとんでもないところで、聞こえる音は人の笑い声と川の波の音。
車がないことが 車に邪魔されずに歩けるということがこんなに心地よいものかと思いました。
しかし、川が多いことで蚊にはかなり悩まされ、部屋に蚊がいるとわかったら 毎晩青木ちゃんと一緒に蚊と格闘しました。
初日は夕方に到着したあと少し町を観光しました。
まずイタリアといったらピザ!町を歩いていると、10分に一度はpizzaの看板を見ます。
これで4.5ユーロ。カラフルなデザインのパスタも町では売られています。
これはベネツィアで一番有名なリアルト橋からのベネツィアの風景。
町を映し出すような綺麗な小物が沢山ありました。
本格的なスイスらしい風景を満喫すため登山鉄道で30分ほど走り、グリンデルワルトに行ってきました。
ここではパラグライダーが気軽にでき、ついにやってきました。
パラグライダーまで時間があったので、近くの湖までハイキングに出かけました。
その道中は360°どこを撮っても絵葉書になるような場所でした。
アイガー北壁をはじめ4000m級の山をいくつも仰ぎ、カウベルが鳴る牧場が広がる風景は忘れられません。
最後の写真はパラグライダーの出発点でこの絶壁から飛び降りるのですが、タンデム飛行なので安心して飛行することができました。
料金は30分で1万7千円と高めでしたが、お金には変えられない貴重な体験ができました。
まるで鳥になったかのような感覚になり、その空からの眺めはアルプスの山々の壮大さに圧倒され、
自然のすばらしさを再度思い知らされました。
今まで行った国では色々と見てきましたが、日本でやったら面白そうな店やものがいくつかありました。
まずは、ベルリンにあった『1ユーロカフェ』。
1ユーロは日本円で170円ですが、向こうの人にとっては1ユーロは100円の感覚です。
一杯100円からという手軽さが良く、カクテル、ワイン、ビール全て1ユーロ。
ビールだけは日本に比べヨーロッパはかなり安いです。
料理は自分の払いたい分だけ払うという変わった趣向のカフェ。
結構気軽に入れるし、面白いなぁと思いました。
次に『水タバコ』。
これはヨーロッパ各地でみました。
ロンドンではカフェに沢山置いてありました。
ウィーンでは結構カッコイイ水タバコ本体が35ユーロ前後で売っていいました。
こっちのおじさんは葉巻を吸っている人が多いです。カフェにはトランプやこういったカジノセットもありました。
今日は宿の隣にある町、ブリエンツにハイキングをしに行ってきました。
ブリエンツはブリエンツ湖のほとりにある木彫りで有名な町。
SLが世界一の急勾配なところ登ることでも有名です。
町を歩いていると犬を散歩している人がいて、後をたどってみると湖岸に出ました。
その湖岸には公園がありそこでは泳いだり、日光浴をしている人たちがいました。
あまりに湖畔がきれいだったため、自分も我慢できず服を脱ぎ捨て泳いじゃいました。
その後、ブリエンツから宿のあるイステルワルドまで2H30Minとあったので歩けない距離では
ないと思い、そののままハイキングしながら宿に戻りました。
途中には放牧されている牛のカウベルの音や、自然のリス・鹿など沢山の自然が溢れ、すばらしい景色の中を歩いて帰りました。
ベルン→インターラーケンに到着。
もう肌は日に焼けて中学時代を思い出すような黒さ。真っ黒です。
計画では初めはツエルマットに行く予定でしたが、スイスに向かう夜行列車の中でスイス人にパラグライダーをしたいと言ったらインターラーケンだというので急遽予定を変更しました。
インターラーケンは西にトゥーン湖、東はブリエンツ湖にあり、アーレ川が流れる緑濃い上品な街です。
インターラーケンは韓国人、インド人が多く訪れることでも有名で街のお土産やではハングルやヒンドゥー語がちらほら。
さっそく予約をした宿に向かうのだが、どうやらインターラーケン市街ではなくブリエンツ湖の途中にあるイステルワルドという隣の村?らしい・
そこで遊覧船にのり、宿に向かいました。インターラーケンからざっと1時間・
遠いと思ったが、ここイステルワルドは村ならではの良さがありました。
これがその時の遊覧船。ブリエンツ湖は遊覧船からダイブしたいくらい綺麗でした。
イステルワルドに到着。
これが今回の宿。宿の近くには高山植物のような見たこともない花が沢山咲いていました。
とりあえずブリエンツ湖をバックに記念撮影。
明日はこのブリエンツ湖と隣町のブリエンツを散策しにハイキングに行く予定です。
ベルンの宿は6ベッドのドミトリー。
駅から宿は急勾配な坂が多くあり途中には真っ赤なゴンドラが設置されていた。
宿で最も印象的だったのは、朝食がかなりおいしかった事。
パン・バター・ジャム等はすべて手作り。オレンジジュースはもちろん100%。
朝一で飲むホットココアもまた最高においしかった。
同部屋者はスイスの田舎町からレスキューの研修でやってきた3人。
一番年長の二十歳のドミニクが、故郷でやっている外からやってきた人を迎える儀式とやらを皆でやった。
その儀式は、小さなスチール缶に入っている茶色のパウダーを手のひらに載せ、一気にみんな鼻で吸うという。
見た目はちょっと怪しかった・・ドラッグでないことを確認してやってみた。
感覚としては鼻の穴にフリスクを入れたような感じだった。朝一にやったら一発で眼が覚めるような儀式だった。彼らから栄養ドリンクやお菓子をもらったりと色々お世話になった。
それから クリスという同い年のドイツ人に声をかけられ 意気投合し、飲みに連れってもらった。
スイスの賃金が高いので、ベルリンからベルンへ週3でフライヤーや雑誌の広告のデザイン等をやっているという。
クリスの腕には『愛望知』という意味不明の文字のタトゥーが入っていた。
意味を教えて欲しいと聞かれ、説明してる自分も意味が良く分からなかったが、一応説明した。
何でこれを彫ったの?と聞くと、何となくと言っていた・
また、ベルンの街には日本で見ることのできない珍しいものがいくつかあった。
広場ではおっきいチェスをしていたり、カジノもあったりと意外と娯楽施設も多かった。
これはベルンのゴミ袋。朝一歩いているとこのゴミ袋が必ず家の前にあって、このベルン旧市街のデザインに目を引かれました。
ベルンの教会は大聖堂以外はモダンなデザインの教会が目立った。
正面がモダンアートのような画の三位一体教会、テレビ画面で水場を演出していた教会などがあった。
スイス一の高さを誇る大聖堂のみは歴史が古く、1421年に着工され、4世紀半かけて1893年にようやく完成された。
正面玄関にある『最後の審判』という浮き彫りは、1528年の宗教革命で唯一難を逃れたもので、細部まで凝ったつくりになっていた。
内装にはスイスらしい絵やステンドグラスが沢山あった。
254段の階段を登った教会の中腹あたりに展望台があり、そこから見る風景はバラ園同様、世界遺産である旧市街やアーレ川を一望でき、まるで童話の世界に飛び込んだような風景だった。
スイスの首都 ベルンに到着。
近代都市をイメージしていたが、街のシンボルがクマであるようにむしろのどかな雰囲気が漂う街であった。
ベルンの歴史は古く、旧市街は世界遺産に登録されている。
町はU字型に流れるアーレ川に三方を囲まれた段丘にあり、ゆっくり歩いても一日で散策できる。
まずベルンのメインストリートりであるシュピタル大通りを通り、街を見渡せるバラ園に向かった。
ここには世界一長い商店街があり、スイスらしい時計塔をバックに壁沿いには何百もの旗がかかり、街をより気品溢れる街に演出していた。
何百メートルかごとにはマスコットが立っている水飲み場でスイスのおいしい水が飲める。
途中にはアインシュタインの家や花を基調とした大聖堂広場があり、ベルンのシンボルであるクマ園もあった。
U字型に流れるエメラルドグリーンに輝くアーレ川を渡り、バラ園に向かった。
バラ園には今が季節だったのか、
赤・ピンク・白・黄色と沢山のバラが咲き乱れていた。
そのバラ園から見る見晴台からの風景は、
世界遺産 納得の旧市街の絶景があった。
スイスの首都には近代的なビルが一つも無かった。
しかし、よく考えてみるとベルンはより近代的な街なのかもしれないとも感じた。
どことなく屋根が淡いオレンジであるチェコの風景と似ていたが、周りには川と森のみの自然が溢れ、唯一高いものといえば大聖堂の斜塔と時計台のみで 他には澄んで晴れ渡っている青空のみであった。
スイスは世界一美しく、住みやすい街ですが、物価もまた世界一高い国です。
日本と比べ、物価はだいたい2倍~3倍します。
たとえば・・・
マックのこのハンバーガーとポテトのセットで650円、この大きいポテトのスモールサイズで420円です。
ちなみにビックマックセットが1400円、ペットボトルのコーラは350円します。
レストランのランチは最低2000円は必要です。
その分、給料も比例して高いそうです。
初任給が60万、平均月収はなんと88万円。
スイスの名物といえば、チーズフォンデュやラクレットといったチーズ料理ですが、物価が高い上、あまりおいしいと聞かなかったので食べませんでした。
スイスの物価の高さにはそれなりの理由があり、
1、スイスは雇用側の社会保障負担が大きいため、物価水準を押し上げている。
2、スイスは小国ながら、ネスレ、オメガ、スウォッチなど輸出企業 が強いことから、スイスフラン高傾向にある。
3、スイスは、EUに加盟していないことから、他EU諸国に比べ高い補助金が農業 などに支払われている。 また、安い賃金で働く外国人労働者の流入が比較的少ない。
という3つが挙げられます。
こんなに物価が高くても自然の美しさ・街の住みやすさを魅力に、ヨーロッパ各地のお金持ちはスイスに好んで住んでいるそうです。
スイスの玄関であり、スイス最大の都市であるチューリッヒに到着しました。
チューリッヒは世界一番住みやすい街だそうです。
ちなみに、東京が35位で、アメリカの最高はホノルルの27位だそうです。
国際サッカー連盟(FIFA)の本部もここにあります。
寝台列車から降り、まず澄み切った空気と湖を見て、とても都市とは思えない印象を受けました。
これがチューリッヒ駅。
チューリッヒ湖の近くにある大聖堂の隣では市場が催されており、民族衣装を着た人たちがスイスにちなんだ色々なものを売ってました。
まるでゲームのような世界でした。
チューリッヒ湖へとつながっているリマト側沿いも綺麗な街並みで、チューリッヒ湖には白鳥が触れるくらい近くに沢山いました。
確かに世界一番住みやすそうな街といっても納得できるくらい自然が素晴らしかったです。
人間と自然がうまく調和できたらこんな街が出来上がるような気がした、チューリッヒでした。